『頑張りたくない』は甘えじゃない
やりたくもないことに時間を割いて頑張るのってすごくもったいないと思うのです。
Twitterでもぶつぶつ呟いてたのですが。
『頑張りたくない』とか『なにもやりたくない』のは悪い感情ではない。
— タニ子@二次オタマイペース女 (@tanikosuke) 2017年9月29日
それなのに、周囲は頑張らない事に対して厳しかったり、また自分自身も頑張らない、なにもしたくないと思ってる自分を責めがちになってしまう。
その感情は悪い感情ではないという事に気づく事が大事だったりする。
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『頑張りたくない』は悪い感情じゃない
前の記事にも書きましたけどわたしは頑張るのがきらいです。
そして『頑張りたくない』とか『なにもやりたくない』のは別に悪い感情じゃない。
それなのに、世間や周囲は頑張らない事に対して厳しかったり、また自分自身も頑張らない、なにもしたくないと思ってる自分を責めがちになってしまう。
- 頑張りたくない
- 何もしたくない
大体の人が頑張らずに生きていけたらと思ってる。
頑張らずに生きていければそりゃ気楽。
(頑張るのが好きな人もいるけど)
そしてそういった感情に対して、どうして人は『甘え』とか『怠けもの』とかマイナスなイメージを持ちやすいんだろうね?
こういったイメージや世間の声に潰されずに、まずは自分でその感情は悪い感情ではないという事に気づく事が大事なんだよね。
頑張ることは人に強要するのもじゃない
頑張りたくない。
そう言った時に大体帰ってくる言葉が
『頑張らないと成長できない』とか『甘え』とかそんなんばっか。
『頑張って精進する』とか、何かを『頑張る』のは頑張りたい人だけ頑張ればいいのであって人に強制するものじゃないはず。
『みんなも頑張ってるんだからあなたも頑張りなさい!』とかマジ意味わかりませぬ。
学校行事とかさ、特に体育祭とかマジ滅べばいいと思います!!
一致団結してみんなでがんばりましょー!とかオンラインゲーム協力プレイ時だけでいいわ!!
『協力して頑張ることは美徳』みたいな世間なのでその中で頑張りたくないって言ったら集中砲火受けることもあるんじゃない?
なんでや、怖い。
まあ、これまでのそういう『頑張る』ことに対する素晴らしさとかを散々学校や社会で教えられるわけです。
結果、『頑張ること』が当たり前みたいになってしまって、頑張りたくないという感情が浮かんできたときにこんなんじゃダメだってその感情を自分で否定してしまう。
頑張りたくないって自分自身が、自分の心と体が望んでいるはずなのに。
そうしてその感情を無視し続けていくと、最悪鬱みたいなことにもなりかねない。
頑張るのは当たり前じゃないんだ。
周囲の反応が気になって頑張る?
自分は頑張りたくないのに周囲からの視線や期待があるために頑張らざるを得ない人もいる。
やりたくないのにやっちゃう人は周囲からの反応が気になっちゃう人なんですよね。
それで自分の感情を『周囲からの反応』というもので覆い隠して頑張り続けるのはよくない。
私自身も、仕事で(バイトだけど)ディレクターとかの立場を任されたりすることがあるんですけど、任されたからには頑張らねば!と思ってた時があったんですよ。
で、やってるうちに、『自分は人に指示を出したりまとめたりするの向いてないわ』ってわかってきて、いやでも任されたからには頑張らないと。って。
けど自分でもうまくできないし、頑張るのがつらくなってきてだんだん『なんでこんなに頑張ってるんだろ、もう頑張りたくない』って思うようになってました。
その時に『やりたくない、頑張りたくない』ってなんて甘えた考えなんだろう。
この先こんなことで生きていけるのかってぐるぐるしてました。
今思うとハアーーーーーー!!めんどくせえ!!
もう頑張りたくないのに、頑張らないことはダメな事だって自分で自分の首をしめてただけだった。
上の立場任されるって事はミーもしかしなくても期待されてる!?フッフン!!
とか舞い上がってたときもありましたね!!フッフン!
今思えば他に任せられる人いなかっただけじゃんとか思ったり。
期待を裏切れないとか、断った時に相手がどう思うのかとか、周囲の反応気にしてばっかだったんですよね。
そもそも期待なんてものは他人が他人に頼み事をするだけ。
それを聞いて妙にストンとした。
それでその人が満足しなければまた他の人に『頼み事』をするだけ。
周囲の反応を気にして頑張ることほど自分を疲弊させる頑張りはないです。
頑張らなくていいんですよ。
ただ期待に応えたいって人も居るのでそれはそれで良いんだよ。
頑張らなきゃ成長できない?
アホらしいですね。
頑張りたくない人は別に頑張らなくてもいいし。
それなのに『頑張んないと成長できないよ』って言われるの納得いかん。
と言うか成長するためには頑張ることが必ず必要?
※ここで言う成長は心理的にとか、心的なもの
『頑張って苦労してこそ成長できる』って考え古いなあって思うんですよ。
いや、頑張って苦労してる方を否定しているわけじゃないですから!
このブログで何度も言ってますが頑張ってる方は素敵だし応援したくなります。
ただ、必ずしも
頑張ること=成長
とは限らないんじゃないって話。
わたしがすごく助けられて、考え方を変えられるきっかけになった本があるんですけど、心理カウンセラーの心屋仁之助さん著作の『がんばらない成長論』って本。
よくある自己啓発書みたいなのとは違って『本来の成長』とはと言うことを、頑張らないことを前提に書いている本。
文章もやさしくて読みやすい。お気に入り。
本書から一部引用。
『成長することが正しい』『成長すると認めてもらえる』『成長すると幸せになれる』と信じて頑張りました。
逆に言えば『成長しないとダメだ』という恐怖との戦いでした。
そして結果が残せないとダメ、できないことはダメなど、自分の感情に嘘をついて仮面をかぶりへとへとになりながら戦っていた。
そうやって頑張ったにも関わらず思うような結果がでなかったり認めてもらえなかったりすると『努力が足りない』と思いさらに『がんばる』ことをしてしまう。
と言うか成長するためには『頑張る』しか知らなかった。
そして、『がんばったから』今の結果を、今の立場を、今の承認をもらえているのに、もしここで、がんばらなかったら、結果を残せなかったら、役に立たない人間になったら、迷惑をかける人間になったら、もう人生は終わりなんじゃないか、と言う恐怖との闘いでもありました。
…わかる。
そうやって自分で思い込んでたにすぎない。
『成長しなければそのままの自分は嫌われ見捨てられる』って思って、成長するためにさらに『がんばる』ことをしてしまう。
本来は頑張りたくないのに。
結局、頑張りたくないのに頑張ってしまうのは周囲の反応が気になるからであって、決して自分のためではないんだよね。
頑張らずとも、自分が楽しい、おもしろい、と思えることが本当の意味での成長なんだと感じる。
結局は自己肯定。
楽しい、おもしろいって思えればその感情だけでどんどんやりたいことは出来ると思うしそもそも楽しいことって頑張ってるって認識ないよね。
と言うかそもそも私は成長とか求めてないので頑張りは必要ないんだけどねー!!!
頑張りたくない、成長とか求めてないですもん。
生きてる中で、少しだけ成長があればいいんじゃない?くらいにしか思ってない。
そのほうが人生気楽に生きられる、気楽に越したことはないですわ。
まあ成長にも色々形種類ありますけどね。
成長成長いってたらキリがないわ。
て言うか『成長=頑張る』ではないのです。
生きてる人間全員成長したいと思ってると思うなよ。
ちなみにデュエリストとしては成長したいです。
(みんなデュエルリンクスやろう)
頑張らない生き方は気楽
頑張りたくない。
周りはみんながんばって結果を出しているのに。
こんなことを思っている自分はなんてダメなヤツなんだろう。
わたしも以前はそうやって周りと比較してダメな自分に悩んでた。
けどね、
周りは周り。
自分は自分。
ウチはウチ、ヨソはヨソ。
頑張りたい人だけ頑張ればいいのです。
こう思えるようになったのは今までさんざん頑張らないことに対して考えてきたからだし、何より自分の感情をこのブログに書くようになってからかもしれない。
これとか。
なので自分の気持ちを文字にして書き出すの大事。
紙でもなんでもいい。
見えない気持ちを文字と言う目に見えるものに変換することで本当に自分が思ってることがだんだんわかるようになってきた。かな。
なんか話それたけど。
まとめ
- 頑張りたくないのは甘えでも悪いことでもない
- 頑張りたくないと言う気持ちを自分で否定しない
- 周囲の反応を気にしてまで頑張る必要はない
- 『成長=頑張り』ではない
- 頑張りたい人だけ頑張ればいい
『頑張りたくない』は甘えでも悪い気持でもありません。
ただ、自分が自然とそう思うのであればそれは本心です。
自分の本心にフィルターまでかけて頑張る必要なんてないのです。
頑張りたくなければ頑張らなくてもいいのです。
もっと気楽に生きようよ!
…自分で書いといてあれだけどこうも『頑張る』って単語並ぶとなんか「グヘー」って気分になるな。
うん、頑張りたくないでござるな。
以上ッ!